2019年09月28日

価値観。

このブログを始めたのは10年程前、当時通っていた専門学校の授業で製作したのがきっかけだ。

『It's my world.』

誰もがそれぞれに自分の世界を持っている。
このブログはその中の一人の、私の小さな、でも私にとっては、広い『世界』のことを書いていきたいと思い名付けた。

その世界は、自分自身によって作られ感じられる様々な価値観の集まり。
美しい景色。美味しい食べ物。驚いたこと。嬉しかったこと。楽しかったこと。大好きなアーティストのこと。
悲しかったこと。悔しかったこと。許せないこと。
小さな声。ネット環境があれば誰もが垣間見える画面の向こうの誰かの世界。

当初は学業に絡め、デザインや絵のことについて感じたことを書こうと思っていたが、今やここは私の日々の感情の置き場所となった。


『価値観』

この言葉を聞いてあなたはどんなことを思い浮かべるだろうか?
様々な事柄において価値観は存在する。

金銭感覚、美意識、道徳、時間・・・

この価値観とは、生まれ育った家庭、育てられた身元引受人(親)、住んでいる国や地域、交友関係、生活環境、これまでしてきた経験、生まれ持った感性…など様々な側面と個人が関わりあって構築されるものだと思う。

この価値観は影響されることによって変わることがある。

人はなかなか変わらないものかもしれないけれど、少なくともこの十年間、特にこの二、三年は私の中で多様に今までの価値観に変化があったように思う。

一番は、経験によって変わった。

その場所へ行って実際にやって自分自身が感じること。

尊敬し影響を受けた人達のようにはいかなくても、自分のできる範囲から一歩踏み出してみること。

長い間悩んでいたことが不思議なくらい、行動すると変われたと思う。

そして、どんな形であれ起こした行動を何かに繋げ、続けていくと行くこと。
そういうことの連続で、自分自身の行動や発言考え方が良い意味で過去の自分を超えてくる。
毎日が変わらなくても、変えていける可能性はいつだって自分側にある。
すぐに変わらなくても、景色が同じでも、時間は過去へと戻れないように、一瞬たりとも同じ瞬間は存在しない。
そう考える思考こそが、変化へのきっかけだっと思う。

少しづつ成長し続けること。幾つになっても頭打ちにならないということ。
それは、私の尊敬する方がおっしゃっておられたように、私も実はそうなのかもしれないと思うようになった。
事柄は違えど、誰にだって言える。

そのお話を聞いた時、『バカの壁』著・養老孟司さんのことを思い出した。(以前高校に講演に来てくださった)※話を聞いただけで未読(爆)

(私の記憶では)限界はいつも自分が決める、その向こう側があるかもしれないのに。できない、やれないと思うことは自分自身の可能性を奪っている。
話の中で興味深かったのは、人間の細胞は毎日生まれ変わっていて一年半?後とかには身体的には別人なのに、思考や精神は受けつがれていっていること。それから、仮に誰かの皮膚を移植したとしても適合しなければ腐り落ちていく、体こそが個性であるというようなニュアンス。だったような(汗)

では、どうして内面のことを『個性』として考えがちなんだろう。

体という物体に比べて、精神は時に流動的だ。誰かと一緒(価値観が)では嫌な時もあれば、誰かに共感して欲しくて孤独に押しつぶされそうな時もある。
魂の片割れを探して、その誰かに出会った時の喜び、違うことの喜び、同じであるという喜びなど、実に複雑なことを感じるのではないだろうか?

性別や年齢、生まれた場所、人種、それこそ価値観の違いによって出てきてしまう問題は数え切れないくらいにある。

何が最善か?

そんなことは一つだけではないのは明らかだ。

『共存』これが私の今思いつくことだ。

しかし、これをして生きていくためには悪気はなくても知識や経験の未熟さなどで誤認していたり、傷つけあったりしてしまう。

『知ること』『許容し合うこと』

間違いなく、してはいけないことはあると思う。少なくとも私の世界の価値観の中では。

しかし、人の数だけ集団の数だけ価値観は存在するのだ。

違いをどれだけ理解できるのか?

それが可能性だと思う。

つまり『のびしろ』ということだ。これが時間のある限り実は人には無限にあるのではないかと思う。
生きている限り、変わっていかければいけないことの方が多い。

確かに選択権はある。

変わらないこともある。

変化の中でもaがbのなったりa'になったり様々なのだから、変化も一括りにはできない。

だから、何が言いたいのかというと、私は自分が信じることに対して誠実でいたいし、人間だから間違ったことも言ったり、してしまったりするかもしれないけれど、喧嘩をしてもまた仲直りができる、その可能性を信じていたい。

また仲直りをすればいいやと当たり前に思うこととは違っているが、人と人同士、それ以外でも、あらゆるものに対して扉を閉ざさないで模索したいと思う。

そう思ったことを、記録として残しておきたい。

そういうことを実行に移すにはまだまだ経験値が足りない気がするけれど、いろんなことに対してアンテナを張りたい。知っていたい。

もしも大切な人に、誰にも言えない過去があるとしたら?

私にだってそれなりにちっぽけかもしれないけど、過去はある。

抱えてるものの大きさが違っても、全てをわかってあげられることができなくても。

もしかしたら、私が普段と同じように過ごしているだけで、その人にとったらそれが居心地のいいことかもしれない。

それは、逆のことも言えて。

私はあなたが、美味しいものを食べて、仲間に囲まれていて、毎日忙しそうにしているだけでその存在が私を勇気付けてくれている。

時には身体のことを心配したり、台風やテロのことを心配したりする。

それが身近な人ではなくても。遠い国の知らない誰かでも。

テレビの中も同じ地球だということ。

自分のことのように世界のことを感じていきたい。毎日変化し続ける世の中に対して。

よく過去の辛かったことを毎日のように思い出して後悔したりすることがあった(今は滅多にない)

私も誰かのトラウマかもしれない。そう考えると、自分のしてしまったことは取り消せないことがよくわかる。
だからこそ、人と接する時失敗してしまったことを繰り返さないようにできる人間でいたい。

時に人は、本当に儚く脆いものかもしれない。

でも、同時に嬉しいこともたくさんある。楽しいことも。傷つけられた人(自分が傷つけた場合でも)から傷つけられたことなんてどうでもよくなるくらいの幸せや、思いやりをもらう(与えられる)可能性だって多くあるのだ。

人を誰一人傷つけずに生けていけないのではないだろうか?

人間は思ったよりも強く、思ったよりも逞しい。諦めない。

人は永遠に可能性に満ち溢れた子どもなのだ。
posted by Akane Teramura at 23:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月24日

ひとこと。ひとこと。

私は記憶力があまりいい方ではない。
歌の歌詞も和訳も何回も読んだりしても全部は覚えられないし、ライブのセトリやMCなども感覚だけ残って細かいことは覚えていられない。

だから、記憶力のいい人なんかすごく尊敬する。

でも、ひとこと、ひとことをなぞらえて、眺めるのが好き。
歌詞カード、対訳。
誰かが残してくれたレポ。
ネットの情報に関しては、ニュアンスは鵜呑みにしないように、でも思い出しながら。
ラジオ。

そのひとことひとことをひと撫で、ふた撫で。

どんな意味が込められているのか、どんな意図で言ったのか。

様々な解釈があるけれども。

なんども眺めると変わった角度から見られたりするし、意外な記憶に飛んだりもする。

いつも新鮮な気持ちにさせてくれたり、気づかせてくれたり、笑わせてくれたり、たくさんの気持ちをくれる。

そこで考えたりもする。

私の伝えたいことってなんだろうと。

私の人生の残りを使って、していきたい生き方ってどんなだろうと思う。

ついつい、結果や見返り肩書きや過去に引っ張られすぎて身動きが取れなくなって、少しでも”うまく”いく道を考えてしまう。

うまくいく道。

そんな道あるのか?私は、その道を誰かから教えてもらうのか?そしたら自分は正しい自分の望む方向へ歩いていけるのだろうか?

そんなことを考えていた。

時間がないと時間のせいにもしたりする。

こことはしょっちゅう戦わないといけない。

でも今日は、なんとか、後ろ向きにならずにいられそうだ。

誰が誰の人生において誰のルールで生きるかだ。

ひとこと、ひとことに助けられながら、私は自分を見つけて掴んでいきたい。

その途中。

これは目下の永遠に続く。どうか、これからも。
posted by Akane Teramura at 22:49 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月23日

これからの時間。

今年も残すところあと三ヶ月ほど。

後半は趣味活に力を注いでいる。

久しぶりに遠征したりするから、非日常感がたっぷり味わえる。

この暮らしも、私の中では一応年内を区切りに活動しようと思っている。
だからってライブに行かなくなるわけじゃないけれど(それは絶対ない。笑)

自分のやってみたい事、行ってみたい場所、いろいろある。
続けたい事、切り替えたい事、今までと変わってきた事。

二十代後半、『結婚』というふた文字にそろそろ落ち着かないと・・・と思っていた自分に言いたい。

そんなん、思い通りに行くわけないやん!笑

断然今の方が楽しい。

年齢的な若さ、肉体的な若さとか確実に減っていくけど。(肉体は努力次第もあるかな)

だからと言って何も考えていないわけでもない。

楽しい事、刺激的な事インプット、たくさんたくさんしたい。
それから、アウトプットも。

いつももらってばっかりじゃなく生きていたい。

視野も広く持ちたい。

それに欲張りだけど、今手にしているものも一つ一つ大切にしたい。

そういうことに時間をかけたいと思っている。

何かを待っている自分から抜け出したい。
能動的でいたい。

という。

具体的な目標を持って(いくつかはある)しっかりとこれからの時間を進んでいきたい。

今一番楽しみなのは、年末、今ある予定が全て終わって、どんな気持ちでいるのか。

楽しみ尽くして、その先のことが見えたり浮かんだりしているのかな。

年齢はただの数字って言ってくれた意味が少しわかってきたかも。

もちろん、出産なんかは年齢的な問題もあるけれど。

許された時間、決して何かにとらわれることなく納得できるように行こう。
posted by Akane Teramura at 21:36 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする